経済成長神話からの脱却

経済成長神話からの脱却

めずらしくまじめに。


 現代社会では消費することが豊かさの証であると勘違いされている。そのため、人々は幸せになるために消費し、消費するためにお金を稼ぐ。お金を稼がなくてはいけないために労働は長時間化し、ライフスタイルの中で労働時間が大きくゆがむ原因となっている。
 現代の少子化、労働時間の長時間化、環境問題などは消費することが豊かさの証であると大衆が思い込まされていることに原因があると著者は述べる。
 この本の著者の指摘で面白かったのは以下の3点である。
第一に豊かさとは消費することであると大衆が思い込まされているという点。アメリカの大量生産・大量消費の文化が世界に広まることで、消費とは善であるという考えが浸透した。企業はモノを売るために、巧みな宣伝戦略を打ち出し、商品はモノという枠組みを超えて、その商品を使うことで、企業が発するイメージを身につけることができると受け止められるようになった。いつのまにか消費が自己主張の手段になったのである。
ブランド品が良い例だ。ブランド品を身につけることでセレブリティになれるというイメージを植えつけられた大衆は、ブランド品を手に入れることで豊かになれる、幸せになれると思い込まされている。
なりたいイメージになるという目的に近づくために、消費することがツールとなったのである。
第二に消費するために働くことで、労働の意味が変わってきたという点である。著書ではキャリアという言葉が、現在はどれだけ多くのお金を稼ぐことができるかということを示すようになったと指摘している。労働は、かつて自分のアイデンティティのよりどころ、自己実現の手段でもあったが、現在は年収をいくら稼げるかで個人の価値が決まると考えられるようになった。
第三に、女性の社会進出は新たな抑圧を生んでいるだけだという点である。上記の2点は、女性の家事労働が過小評価されることによっても生み出された。家事が過小評価されることで手作りの品は軽んじられ、既製品の価値が上がった。専業主婦の価値が下がることで、女性は社会進出に励んだ。女性は男性と平等に働けることを目指したが、「女性は家庭という檻から出たことで、男性が捕われているより大きな檻に捕われるようになった」とシャーメイン・グリーアは『完全なる女性』で指摘していると著者は述べている。
女性は家庭からは解放されたが、男性が捕われている市場至上主義、新自由主義経済へと仲間入りを果たしただけだったのである。


労働のゆがみによって少子化が進み、大量消費社会によって環境問題が深刻化した。これらの問題の根源が消費によって幸せが手に入ると大衆が幻想を抱いていることであると著者は述べる。
経済成長を続けることは不可能であり、途上国が先進国のようになったら地球は壊れてしまうだろう。大衆はものを買わなくても、経済成長が実現されなくても十分に幸せになれるということを認識する必要がある。
私はこの本を読んで、モノと情報が氾濫する現代社会の中で、次第にモノは淘汰されていくのではないかと考えた。最近注目されている「スローライフ」「スローフード」といった概念がそれを証明しているのではないか。大量消費社会からシンプルな生活に比重を置く社会が近づいているのではないか。その過程で省エネ、エコロジーに関する産業が発達するだろう。途上国を除き、モノにあふれた先進国ではこれからはいかにモノを売るかではなく、いかに少ないモノで豊かに暮らすかというライフスタイルを狙った戦略に変換する必要があるのではないか。次に、大量消費社会の歪みがBSE雪印の不祥事を生んだ。その中で本当にいいものを認証する仕組み、人々に大量にある商品を選別する指針となる情報を発する産業が必要になるだろう。NPOによる認証制度などである。最後に「モノ」の消費に捕われていた時代が終わって、これからは無形のモノ、サービスの消費が盛んになるのではないか。メンタルヘルスのカウンセリングなどである。
今まで目指し続けていた経済成長、大量消費社会からモノを少なく、経済成長を目指さない社会へと転換期を迎えているのが現代という時代ではないか。